株式会社C&Gシステムズ

CAREER PATH キャリアパス

CGS版成果主義

C&Gシステムズにおける成果主義は、目先の成果のみを追求するものではなく、個人の成長過程を評価するシステムです。個人の業績、結果だけではなく、個人が保有するスキル項目、個人の継続的なスキルの成長および会社・組織に対する貢献度を明確にし、評価に反映します。

社員の成長と会社の業績向上が密接に連動する評価制度を構築しています。

  1. 目標の設定
    部門目標を踏まえた自己の目標と達成のための方法を検討し、上長との面談で具体的な行動計画を設定します。
  2. 評価面談
    目標達成度についてまずは自己評価を申告し、上長と評価面談を行います。
  3. 処遇への反映
    毎年の給与改定では、継続的なスキルの伸長度を評価に反映します。
  4. 賞与においては、賞与対象期間中に達成した個人の業績を評価に反映します。

キャリア社員のご紹介

C&Gシステムズの社員がどのようなキャリアを経て現在の業務に従事しているのか、経験談を交え、ご紹介いたします。

R.M 

開発本部 CAM開発部長    2005年4月入社

この会社を選んだ理由

2005年4月に中途採用で入社しました。
弊社主力商品である3次元CAD/CAM「CAM-TOOL」は国内外で非常に有名であり、多くのお客様がいらっしゃいます。それを開発しているところで金型業界に貢献したい、また自分の力を試し、伸ばして行きたいと考え弊社を選択しました。

前職は弊社の競合会社でもあり、金型向けCAMシステムの開発・サポートを行っておりました。

入社1年目

入社半年後からは、加工機械メーカーとのOEM開発を行いました。加工機械と付属されるシステムで機械に特化した簡易CAMです。 簡易CAMといってもCAMとして一通りのことができることが必要で、演算部分、GUI部分、OpenGL描画部分等、色々なことを開発しました。
弊社は優秀な開発者が多く、一緒に開発を行うことで色々なことを吸収できたと思います。転職して大正解と思ったのもこの頃からです。

ターニングポイント1

(入社3年目)

前の年から役職がリーダーとしてグループを持つようになり初めて開発したのがカッター軌跡を編集するアプリケーションです。

元々カッター軌跡を編集するノウハウを持っていたので、それも反映させる形で全体の概要から作成し、スケジュール通りリリースできました。ここでもプロジェクトの運営はもちろんのこと、技術との仕様調整や、リリース後はお客様への説明と、色々なことが経験でき自分のスキルを伸ばすことができました。

ターニングポイント2

(入社5年目)

他社メーカーへのCAMエンジン(カッター軌跡を作成するモジュール)のOEM提供を行いました。
OEM提供の方法を考え、プロジェクトを進めていきました。
プロジェクトを成功させるべく何度も打合せを行い開発を進めていきました。お客様のCADの曲面データの調整など難しかったですが、お客様と近い位置での仕事だったので非常にやりがいの在る仕事でした。
スケジュールはお客様と直接決めており、期日を守ることの必要性を改めて感じました。

ターニングポイント3

(入社6年目)

海外メーカーCAD(SolidWorks)に付加する新規CAMアプリケーション(CG CAM-TOOL)の開発を行いました。またこの年から課長となりました。大きい範囲を見るようになり、責任の範囲も大きくなりました。
スケジュールを守ることを非常に意識するようになり、また開発メンバーの報告を受け、方向性を示唆したりするよう勤めました。

現在の業務内容

(入社7年目~現在)

部長となりCAM開発部全体の責任者となりました。
昔から、自分の経験のあるところだけを開発していけば楽なのですが、なるべく自分の経験したことのない分野を開発するよう勤めてきました。やったことは全て経験となり現在の自分の力になっています。

管理職になるとマネージメントはもちろんですが、他部署の人たちとの調整がものすごく多くなります。この調整をスムーズに進めることも、若い頃から色々なことを経験しているかどうかにより結果が変わると思います。嫌な仕事でも何でもしっかりとこなすことが如何に大事かと思います。

学生の皆さんへ

社会人として仕事を始めて、初めて仕事が面白いなと思ったのがお客様と話をしたときでした。それは私がプレゼンを行ったときで、私の説明により商品購入の第1歩が決まります。ものすごい責任があります。その代わり、結果が良ければ充実した達成感を味わうことができます。
社会人になると仕事の一つ一つに意味があり責任があります。
責任のある仕事をこなしたあとは、充実した達成感を味わうことができるわけです。
プロ意識をもち仕事に望むことでどんな仕事でも達成感や楽しさを味わうことができるでしょう。
それから、社会人になると緊張するケースが増えると思います。これも先に述べたのと同じで、緊張すればするほどうまくいったときの気持ちよさは学生の時には味わえないことです。

社会人になると、自分のした仕事に対して給与、報酬がでます。つまりそれはその業界のプロと言うことです。きちんとプロ意識をもって仕事に望めば結果も付いきて、仕事が楽しいのものなるでしょう。

管理職になるとマネージメントはもちろんですが、他部署の人たちとの調整がものすごく多くなります。この調整をスムーズに進めることも、若い頃から色々なことを経験しているかどうかにより結果が変わると思います。嫌な仕事でも何でもしっかりとこなすことが如何に大事かと思います。

Y.S 

開発本部 CAD開発部長    1987年4月入社

この会社を選んだ理由

3DCADの開発に携わりたいと思っていましたが、20数年前の県内のコンピュータ業界は銀行のオンラインシステム等に代表される様な事務処理関係が中心で開発言語もCOBOLが大半を占めていました。

某銀行のオンラインシステム開発会社に就職を考えていた所、小さいながらも北九州でCAD開発を行い自社ブランド商品として全国展開している当社を知り、3DCADの世界に憧れもあり入社を希望しました。

入社1年目

入社当時、設計はドラフタによる手書きが主流でCADは一台数千万、CAMに至っては機械で手打ち、良くて「自動プロ」というコンピュータシステムでした。
私の配属先はマシニングセンタ―用のCAM開発で、プログラマとは思えない厳しい先輩から怖々教えを請うたものでした。

開発に配属とはいえ今のように一人一台のコンピュータはなく、コンピュータルーム内に10台ほどがあるだけで、プログラミングをしようと思うと夜10時から、昼はキーパンチャーとして先輩がコーディングしたプログラムの打ち込み、工作機、プログラムの勉強、まるでウルトラ警備隊のように紙テープ(当時、NCデータを出力していた媒体です)の穿孔穴を解読する日々でした。想像していた会社の印象とは全く違いましたが、毎日勉強の繰り返しで楽しかった事を覚えています。

ターニングポイント1

(入社2年目)

入社2年目に、一品一様が主流の時代に、会社としても大きな転換期となる汎用CAD/CAMを、当時としては画期的なネットワーク型マルチ端末、CAD/CAM一体型としてリリースし、一躍脚光を浴びました。

この商品開発に私が2年目で抜擢されたのですが、機能実現のためメンバー全員が習得ままならないUNIX-C言語で開発を行い、納期も7カ月程の殺人的なスケジュールの中、当然クラッシュ&ビルドなど行えず一発勝負の開発でした。 ダメなら会社も潰れる危機感もあり、必然的に毎日試行錯誤の連続で肉体的にも精神的にもギリギリの状態だったのですが、この開発に携われた事により、納期、作業効率の大切さ、何よりも作った商品が評価される喜びを体感出来た事が以後の開発に大きく影響を与えました。

ターニングポイント2

(入社12年目)

2000年問題も視野にUNIX/PC双方を対象とした商品を開発しリリースしましたが、システム全体を再構築したとは言えリリース当初から多くのトラブルを抱えました。 開発リーダーとして中心的な位置付けの一角を担っていた事もあり、トラブル終息のため複数のユーザ先へ数カ月出向しました。 それまでは、デモや評価に数日訪問する事は多々ありましたが、長期間滞在するのは初めての事でした。
ユーザ先では現場の担当者と同様に設計やデータ作成を行わされた事で、仕事の流れ、思考、何よりも拘りを理解する事が出来ました。
何かと大変でしたが、今となってはその後の開発に活かす知識を得る大変良い機会でした。

ユーザからみれば、私個人ではなく会社の代表として捉え質問されるため、開発担当外、商品その他であっても責任を持って回答しなければならない事を改めて痛感する良い機会にもなりました。

ターニングポイント3

(入社17年目)

ユーザに新しいイメージを与える事を目的に短期間で新商品を作る事になり、開発担当者としてではなく、プロジェクトを管理する立場として臨みました。

短期間での開発が命題で、言い換えれば出来る事だけをやる。リリース後、何とか営業の力でそれなりの数字にはなっていましたが、ユーザからの反応は見事に失敗でした。ビジョンの見えない商品はユーザには受け入れられない、タイミングと同時に商品力が根幹にある事を痛感し以後の開発に活かす事となりました。

現在の業務内容

(入社22年目~現在)

グラフィックプロダクツ、コンピュータエンジニアリングの2社が合併し、現在の社名「C&Gシステムズ」として国内最大手のCAD/CAM開発会社となりましたが、
新会社で私はCAD開発部長に着任。
職責に押し潰されそうな所を、部下や上司に支えられ現在に至っています。肩肘張って何でも取り仕切ろうとしがちですが、過去の上司を手本に部下に極力任せ、一人ひとりを信頼するよう心掛けています。

CAD/CAM市場は成熟しつつあるとは言え、お客様は20年前にCAD/CAMを通して受けた衝撃を当社に期待しています。
同時に海外マーケットの拡大に伴う幅広いニーズに応える商品を開発出来る様、皆と創造力、志を高く頑張っていきたいと思っています。

学生の皆さんへ

色々と会社を検討していると思いますが、希望の会社、職種に就けたとしても必ずしも自分の思いと合致するわけではありません。
希望していたのと異なるから、自分の能力が活かせないからと離職する人がいますが、与えられた仕事に楽しみを見出し、能力を活かすにはどうするかを考え、歯車になるのではなく歯車を動かす力として会社にとってなくてはならない存在になって下さい。

コミュニケーションは大切です。

これだけは忘れないで下さい。

N.H 

東日本営業部 大宮支店長    1999年4月入社

この会社を選んだ理由

私が就職活動をしていた時は、SE(システムエンジニア)という言葉が流行っていました。何をしたいという目的より、漠然とその業種の会社を探す事を中心に就職活動を行っていました。 しかし、会社説明会で何社かお話を聞いていく中で、自分がその職に就いたイメージを描いても、「やりがい」や「楽しさ」を想像する事が出来ませんでした。
      
そんな中、当社のホームページを見つけました。日本の製造業は世界一の技術力だという認識はありましたが、その製造業を支援するソフトを作っていて、かつ業界No.1のシェアを誇っていることを知り、自分自身もその一員として、製造業の更なる発展に役立ちたいと強く思いました。

入社1年目

 ~境域センターから営業へ

初めは教育センターという部署に配属されました。
そこは、商品のオンラインヘルプや講習テキストを作成する部署でした。
当社の商品の事はもちろん、パソコンに対するスキルも無かった私ですが、先輩・上司の方々からとても分り易く指導していただき、 半年間の経験を経て営業に配属されました。

いつかは営業として活躍したいとの思いがありましたが、こんなに早く配属されるとは思っていなかったので不安もありましたね。 しかし、先輩との同行など、しっかりとした指導を受ける事が出来たことで、安心して営業活動ができるようになりました。

初めて注文書をいただいた時の感動は今でも忘れません!!  恐らく一生忘れる事が出来ないと思います。

ターニングポイント1

(入社2年目) ~社長賞

私が営業としてお客様へ訪問する様になった時は、先輩が訪問しそうに無いお客様を集中して巡回していました。
先輩に営業で勝つ事はとても無理だと思っていたからです。 そして、誰よりも日々の訪問件数を多くする事を心掛けていました。

そんな日々を過ごす中で、入社2年目で初めて営業成績で社長賞を貰う事が出来ました。当時は、全国で5位以内の営業に社長賞が出ていたのですが、初めて5位に入る事が出来たのです。子供の頃にテストで良い点を取って親から褒められた時の様にはしゃいでいたと思います。仕事の楽しさや、やりがいを体感することができました。

その後は先輩や上司の指導のもと、順調に営業成績が上がっていきました。振り返ると、毎日が楽しく充実した日々だったと思います。

ターニングポイント2

(入社6年目) ~ マーケティンググループのリーダーを兼務

営業の後輩社員が増えてきて、もっと新規案件を増やす事が出来ないか?もっと営業経験が浅い社員でも簡単に売れる仕組みを作れないか?などと考えていた時です。
部長からマーケティンググループを新設して、立ち上げてみないか?との打診がありました。

営業活動も行いながら、兼務という形でマーケティンググループのリーダーを任され、 年間1千万円以上の予算をもち、展示会の企画・運営や販促資料の制作などを行いました。

その後、営業グループのリーダーも兼務しましたが、営業成績を落とさずに両方の活動をする事はとてもハードなものでした。 それまでは殆ど経験が無かったのですが、その頃はミスを度々してしまう事がありました。 そんな時は上司や後輩達の助けを借りることもでき、私は人に恵まれたと今でも感謝しています。

ターニングポイント3

(入社8年目) ~大阪支店に配属

私は北九州で採用された後、直ぐに東京へ赴任して7年を過ごしたのですが、初めて他の支店へ転勤する話がありました。家族に相談もせずに、その場で大阪支店への異動を快諾しました。 「若いうちは何事も経験!」という事を普段から思っていたからです。

大阪では、その地域ならではの営業戦略がある事を初めて体感しました。また、一人一人の個性を生かしたとてもアットホームな環境でもあり、この様な支店運営もあるのだと、たくさんの事を学びました。

その頃、営業グループリーダーから副支店長になりました。
大阪にはわずか1年半の赴任でしたが、とても濃い時間を過ごす事が出来たと思います。
更に、「何事も経験してみなければ分らない」 と思う様になりました。

その後再度、東京支店への赴任となりました。

現在の業務内容

(入社14年目~現在) ~松本営業所 所長~大宮支店 副支店長~支店長

2011年に開設された松本営業所の所長を7年務めた後、2018年9月にまた新しく開設された大宮支店の副支店長を経て、2021年には支店長となりました。

営業所では、厳しい市況が続いている中でも出店前に比べて、売り上げは順調に伸び、現地のお客様からも、サポートに対する満足と安心感が大きく上がったとの声を聞きました。 それは、アットホームな雰囲気の中で、営業所員(営業・技術)がそれぞれを思い、助け合いながら仕事が出来たからだと思います。

少人数の営業所、所帯の大きな支店、それぞれ仕事の手法に違いはありますが、社員が共通して向上心を持って働く素晴らしい環境で、日々仕事に励んでいます。

学生の皆さんへ

私が後輩社員によく話している事があります。

寝ている時間を除けば、一日の半分以上は仕事をしている時間です。
同じ時間を過ごすなら楽しくてやりがいのある時間にしよう。
それが出来るのは本人次第です。皆さんにもその事を体感して欲しいと願います。

最後になりますが、一人では仕事は出来ません。
私はこれまで多くの人に助けてもらい、また励まされてきました。
この様な素晴らしい環境で仕事をさせていただいた当社が好きです。入社後14年経った今でも、この会社で働くことができた事に感謝しています。
皆さんにも将来、仕事を通じて、いつかそう思える日が来ることを願っています。

K.I 

中・西日本営業部 名古屋支店長    1997年5月入社

この会社を選んだ理由

私は大学では経済学専攻でしたが、プログラム開発系の仕事に憧れていました。といってもプログラム知識は皆無に近かったので、学びながら仕事ができる会社を在学中に探していました。 そんな時、社員募集をしていたのが今の会社でした。

元々、金型に関して興味があった訳ではなく、面接時に自分にとって全く未知の領域に興味を持ったことと、この会社であれば自分の希望が叶うのではないか、という考えが入社のきっかけでした。

入社1年目

技術部(名古屋)に配属されました。
開発部を希望していましたが、入社面接時に、それなら最初は技術から始めた方が良い、ということで配属が決まりました。
仕事の内容は、問い合わせ、納品等、様々ありましたが、私のメインは自社製品をお客様にデモンストレーションをする業務でした。

金型の知識はおろか、自社製品ですら全く把握していなかった私には、毎日が勉強でしたね。
その上、製品が搭載されたOSがUNIXでしたので、全く分からないことだらけで、休みの日も勉強に明け暮れていたのを覚えています。 とにかく早く仕事を身につけて会社の戦力にならなければと必死でした。

ターニングポイント1

(入社4年目)

この頃になると仕事にも慣れ、自分自身の進みたい方向性を改めて考える余裕が出てきました。

入社当初は開発部希望でしたが、お客様に自分で行ったデモンストレーションで購入して頂いた時の喜びは、言葉では表現できないぐらい嬉しく、そのきっかけを作る営業になりたい、と考えるようになってきました。
デモンストレーションをするきっかけを最初は何もないところから営業は作るのですから。

入社当初の考えを方向転換し、営業部への配属を強く望むようになったのはこの時期でした。

ターニングポイント2

(入社8年目) ~企画部(東京本社)に配属

突然の配属辞令でしたので、かなり驚きました。正直、私の頭の中では、技術経験を経て営業という道がはっきりしていましたので、悩みましたね。

ですが、その時に相談した上司が「今までと異なる視点で物を見ることができる良い機会であり、営業になる前の経験としては良いステップアップになる。」という一言で配属を承諾しました。

業務内容は、要望の取り纏め、及び要件作成、開発部との仕様作成、各支店へのレビュー、市場調査等々、今までの業務内容とは全く異なる内容で、また支店と開発を繋ぐ重要な部署でしたので、配属当初はやはり色々大変でしたね。というかずっと大変でしたね(笑)

ターニングポイント3

(入社12年目) ~営業部(名古屋)に配属

企画部に配属されて4年が経過し、やはり営業になる目標は変わらず持っていましたので、我慢ができず、上司に営業への転身を相談したところ、何とか承諾して貰いました。ほとんど強引でしたね。

営業部への辞令が出たときは、その時の上司には申し訳なかったですが、本当に嬉しかったことを覚えています。

現在の業務内容

(入社16年目~現在)

今までを振り返ってみると、営業になる為に遠回りをしたように見えますが、結果的に自分にとってかなりのプラスになりました。

プラスとなった要因は、様々な業務経験もそうですが、特に人とのつながりでした。技術部、企画部時代は多くの人と接する機会があったおかげで、営業になった今でも色々な人に助けて貰うことが多々あり、感謝しています。

営業業務は、今でも楽しいです。勿論、苦しい時もありますが、それを補って余りある楽しさの方が私にとって大きいですね。
営業職はつらい職種だと思われがちですが、今の会社は「ものを販売する楽しさ」がある職種だと思っています。

学生の皆さんへ

これから社会人になってより多くの選択に迫られるかと思いますが、大切な事は自分自身で納得した選択をし、選択した後は迷わない事だと思います。

でも、自分だけでは乗り越えられない問題に直面することもあります。そんな時は、人に助けを求めることもまた必要です。
人の考えを聞き、自分の中で吸収して考える事で、選択の幅が広がり、それが、自分自身の更なるスキルアップにも繋がります。

社会人は人生の大きな分岐点の1つです。そんな多くの選択ができる会社を選べると、今後の人生も良いものになっていくと思います。

キャリアパス

C&Gシステムズのキャリアは、5のランク、4の職群から構成され、各職群が、特定の業務に精通し、特定業務を遂行するエキスパート職と、組織の管理運営業務を担当するマネジメント職に分かれます。